第10章 追放
サンボ(クンタ)がいたところはとても大規模な農園で黒人奴隷も大勢いたので、主人であるパルパティーン大佐は、奴隷に会っても見分けがつかなかった。また奴隷も誰が主人か分かっていなかった。
ある日、サンボ(クンタ)は馬に乗った白人に、奴隷に対するよくあるやり方で話しかけられた。
「やあ、ボーイ、お前はどこの奴隷かね。」
「パルパティーン大佐です。」
「大佐はお前にやさしくしてくれるかね。」
「いえ、とんでもねぇです、旦那さま。」
「で、仕事はきついかね。」
「そうですとも、旦那さま。」
「じゃ、ろくに食べ物もくれないのかね。」
「いやあ、お粗末ながら、まあまあってとこです、旦那さま。」
するとその白人はサンボ(クンタ)に名前と、どこの農場で働いているのかを聞くと、そのまま馬を走らせて行ってしまった。サンボ(クンタ)は自分が自らの主人と話しをしていたなどとは夢にも思っていなかった。
何事もなかったかのように2週間ほどがたったある日、サンボ(クンタ)は何の前触れもなく奴隷監督から、
「お前は主人、つまりパルパティーン大佐の悪口を言ったのでアメリカ、ジョージア州の商人に売られることになった。」
と言い渡され、すぐさま手枷と鎖をかけられ港に連れて行かれた。
これは例えば、子供の奴隷を買ってそれが成長してから売ると値段が倍ほどになることや、年代が進むにつれ奴隷の需要が増し、奴隷の値段が上がっていったことにともなってプランターの利益となるため、罰としてもよくある手法だった。
第11章 綿花プランテーション
ジョージア州に着くと新しいプランターのもとに連れて行かれた。プランターの名はガンレイ総督(Viceroy Gunray)であった。前回と同じように新しいプランターのイニシャル(V.G.)の焼印を背中に押された。カリブ海とは違いアメリカ大陸では、砂糖ではなく綿花を栽培するプランテーションが栄えていた。
綿花は古代エジプトの初期から知られていたが、広く普及するようになったのは18世紀末のことであった。これは紡績機が初めて発明されたためである。綿繊維は木綿の木の種子をおおっているやわらかい綿毛から取れる。木綿の木は土地を消耗させ、多くの労働力を必要とするため奴隷制度なくしての栽培は成り立たなかった。
木綿の木は1.5mほどの潅木で、クルミのような大きな皮におおわれた果実は、白い繊維に包まれていて、30ぐらいの小さな種子を含んでいる。これは成熟すると皮が破れて、中の繊維が乾燥して反る。どの綿花も同時に成熟するわけではないので、奴隷たちは常に見回って適宜摘まなければならなかった。
綿花の収穫は、8月の下旬に始められた。サンボ(クンタ)たちには紐のついた袋が配られた。この紐を首に回すと袋の底は地面につき、その口がちょうど胸のあたりにくるような仕組みになっていた。また、袋がいっぱいになった時のために大きなかごも与えられた。奴隷1人がまともに働くと1日で約100㎏を収穫することができた。 そして普段の収穫量のノルマを達成できない奴隷は罰せられた。また、奴隷たちは朝日が昇る頃には畑に出ていなければならず、正午に冷肉を与えられると、明るいうちは絶え間なく働き、満月の時は真夜中まで働かされることもあった。
綿花の栽培には多くの労働力が必要だったこともあって、綿花の生産量が増えるにしたがってアメリカ南部で強制労働につく奴隷の数も増えた。
↑綿花の加工工場:この中で綿花を綿繰り機にかけて種を除いた
第12章 その後
サンボ(クンタ)がアフリカのカイガラ村で農作業中に海岸地方のカカ族に捕らえられてから、ジャマイカ島にあるパルパティーン大佐の砂糖プランテーションで働き、後に追放され、ジョージア州にあるガンレイ総督の綿花プランテーションで働いているうちに20年余りがたち、サンボ(クンタ)は36才になろうとしていた。この歳まで過酷な労働を強いられてきたため、体があまり丈夫ではなくなってきていた。
奴隷が満足に働けなくなると、プランターは彼らを自分の家で召使い奉公人として使うようにしていた。また召使い奉公奴隷を多く持つことはプランターにとって豊かさの証でもあり、外部の人間への自慢の種にもなった。男は、料理人・御者・大工・鍛冶・警備、女は洗濯・掃除・料理・リンネル係・子守り・助産などを行った。
こうしてサンボ(クンタ)はガンレイ総督の家で召使い奉公奴隷として働くこととなった。このため、他の奴隷とは別に総督の家の近くに住み、家族の一部を成した。プランテーションで生まれた奴隷の子供の面倒は、黒人の乳母や年長の子供たちが見た。白人と黒人の子供は一緒に遊び、黒人の乳母が白人の召使いを監視し、黒人の下女が女主人を手助けし、黒人の下男が多忙な白人主人を助けた。
しかし、一緒に生活することによって、白人は警戒心、黒人は憎悪の感情を持つこともあり、召使い奉公奴隷は再び売られることがよくあった。また他のプランターに仕えている召使い奉公奴隷とは結婚できなかった。
サンボ(クンタ)は幸運にもその後再び売られることなく召使い奉公奴隷としてガンレイ総督に仕え、49才まで生きた。
参考文献
川北稔 『砂糖の世界史』 岩波ジュニア新書、1996年
ジャン・メイル著 猿谷要監修 『奴隷と奴隷商人』 創元社、1992年
増田義郎 『略奪の海 カリブ』 岩波新書、1989年
本田創造 『私は黒人奴隷だった』 岩波ジュニア新書、1987年
菊池謙一 『アメリカの黒人奴隷制度と南北戦争(アメリカ史研究1)』 未来社、1954年