第7~9章

黒人奴隷クンタの20年間
=「世界商品」の生産と黒人奴隷制度=

第7章 砂糖プランテーション

奴隷たちは最初の一週間、栄養のある食物を与えられ、働かなくてよかった。これは旅の疲れを癒してその後しっかり働けるようにするためであった。

砂糖プランテーションは、サトウキビを栽培する大農場と、そのしぼり汁から砂糖、糖蜜、ラム酒を製造する工場の両方が一体となったものであり、農業よりむしろ工業に近いものがあった。中でも「工場」と呼べるのは、サトウキビのしぼり汁の濃縮・浄化・結晶化を行った製糖作業場であった。 大勢の奴隷が約300エーカーの農園で、統一的指揮・監督の下、畑作奴隷・工場奴隷・職人奴隷・家内奴隷などに機能的に配属され、組織的な激しい強制労働をさせられた。また畑作奴隷は、ひとりでも手を休める者がでないようにするために、作業能力別編成によるギャングシステム(集団チーム制)によって、一番きつい労働を行う第一ギャングから、より単純な労働を担い女性の多い第二ギャング、子供や回復期の病人から成る第三、第四ギャングまでのグループに分けられていた。

サンボ(クンタ)は第一ギャングに入れられ、サトウキビ畑に配属された。夜明け前に奴隷監督が鳴らす鐘またはホラ貝の合図で目を覚ますと作業が始まり、午前9時ごろに約30分の朝食時間が与えられた。朝食には、ヤム芋、サト芋、バナナなどの主食と、オクラなどの野菜を塩またはとうがらしで味つけしたものが出された。

正午になると自由時間が2時間与えられたが、これは休憩のためではなく、自分たちの昼食を準備するためにあった。午後2時ちょうどになると、奴隷監督は奴隷たちを畑に呼び戻し、また夜7時ごろまで働かせた。収穫期には、作業は深夜にまで及んだ。 サトウキビの植え付けシーズンになると、水はけのよい斜面を利用して作られた畑で奴隷たちが横一列に並び、鍬でサトウキビの苗を植え付けるための正方形の畝床を作り、別の奴隷がそこに苗を置き、さらに別の奴隷が土をかぶせた。

また、サトウキビの成長に合わせて肥料まき、除草、ねずみの駆除などを行った。サトウキビの収穫期になると、畑作奴隷の全ギャングが一斉に畑に入り、人の背丈をはるかに越えるサトウキビを手斧(マチェテ)で伐採し、下級のギャングがそれを集めて切りそろえて束ね、製糖工場に運んでいった。

サトウキビの植え付け
↑苗床を作り、サトウキビの植え付けをする奴隷たち

サトウキビの収穫
↑サトウキビを収穫する奴隷たち

第8章 製糖工場

収穫されて製糖工場に運び込まれたサトウキビは、すぐに処理しないと砂糖の品質に影響が出るのため、真っ先に三本垂直ローラー式の風車型圧搾機で汁をしぼり出された。このときに、過労と寝不足などのために不注意になっているとサトウキビとともに腕が圧搾機に巻き込まれてしまうことがあったが、全体の作業に支障をきたすため、そばに置いてある斧を使い、巻き込まれた腕をすぐに切り落として作業は続行された。このため砂糖プランテーションでは、片腕がない奴隷などもよく見かけられた。

その後、圧搾機から出てきたサトウキビのしぼり汁は樋をつたって一時的に溜め桶に集められ、そこでゴミをすくい取った後、ボイラーに移されて、灰汁を抜かれ、不純物を取り除かれた。ここのボイラーの主な燃料は、圧搾されたサトウキビのかすであった。もうひとつのボイラーにかけた後濾過して泡を取り除き、冷却皿に送られると砂糖として結晶した。この砂糖は樽詰めにされてヨーロッパに向けて出荷された。

サトウキビのしぼり汁からは糖蜜とラム酒もつくられた。純化されたしぼり汁を冷却した後、穴の開いた樽で砂糖の外皮の部分を濾過すると糖蜜ができ、その糖蜜からラム酒が造られた。蒸留所の内部では、プランターがアルコール度を検査することができるように、奴隷が樽に穴を開けていた。

圧搾機
↑サトウキビを三本垂直ローラー式の圧搾機にかける様子

第9章 プランテーションでの生活

奴隷たちは奴隷菜園という、奴隷だけのために利用できる畑をあてがわれていた。この畑で奴隷たちは、休憩時間や夜など仕事以外の時間を使って、キャッサバ・ヤム芋・バナナ・野菜・果物などを自由に栽培した。これらの食べ物はプランターがアメリカなどから輸入して与える、トウモロコシや塩漬け鰊(にしん)などの食物の栄養面での不足を補った。

またジャマイカの法律では、主人の許可証を携帯すれば、奴隷が日曜市などに奴隷菜園の余剰作物や鶏売りに出かけることを認めていたため、日曜日の市場は意外とにぎやかだった。

 しかしそれとは逆に普段の奴隷の管理は厳しかった。プランターたちは、奴隷が反乱を起こすのではないかという不安に常に悩まされていたので、反乱を起こそうとする奴隷を捕らえては厳しく処罰した。奴隷の管理責任者が畑を見回っては、奴隷の生産高に注意を払い、定期的に奴隷の小屋を検査した。これは武器や盗品を隠していないかをチェックするためであった。また、馬に乗り、武装して警備にあたる特別パトロール隊が志願者の中から組織され、見回りや逃走した奴隷の追跡を行った。逃亡者の逮捕には賞金がかけられることもあった。そして夜8時以降は外を出歩くことを許されなかった。

休日を楽しむ奴隷たち
↑休日を楽しむ奴隷たち

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